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近代建築様式について(工学博士 岸田日出刀)

    建築と土木は非常に密接な関係があります。ドイツ語にTiefbauという言葉と、Aufbauという言葉がありますが、Tiefbauが土木でAufbauが建築であるということを友人に聴いたことがありますが、必ずしもそうではなさそうであります。この2つがどういう関係にあるかということを、御教授に預かりたいと思いますが、いずれにいたしましても、建築と土木が密接な関係にあることは認められるわけであります。

(建築和土木有著非常密切的關係。在德語有Tiefbau和Aufbau這兩個詞彙、Tiefbau是土木Aufbau是建築、這是從朋友那邊聽來的、但我想未必是那樣。這兩者到底有什麼樣的關係我想日後可以慢慢去探討、但不管如何建築和土木是有著密切的關係。)

    こんゆう申し上げたいと思いますのは、世界の建築様式の中、20世紀の建築、すなわち現代の建築についてであります。あわしながら現代の建築を知るためには、古い時代の建築を一通り知って置く必要があると思いまして、ここにその様式の名前だけを表にいたしてきました。

(今晚我想要說的是、世界的建築樣式之中的20世紀建築、也就是所謂的現代建築。為了要對照並了解現代的建築、我想有必要知道一些舊時代的建築、在這裡只表列出樣式的名稱。)

世界の建築様式

1.西洋建築:欧洲系

2.東洋建築:印度系、支那系、回教系

西洋建築の諸様式

1.太古建築

(1)エジプト建築、(2)メソポタミア建築

((1)埃及建築、(2)美索布達米亞建築)

2.古代(古典)建築

(1)ギリシャ建築、(2)ローマ建築

((1)希臘建築、(2)羅馬建築)

3.中世建築

(1)初期クリスト教建築、(2)ビザンチン建築、(3)サラセン(回教)建築、(4)ロマネスク建築、(5)ゴシック建築

((1)早期基督教建築、(2)拜占庭建築、(3)撒拉遜(回教)建築、(4)羅馬式建築、(5)哥德式建築)

4.近代建築

(1)ルネサンス建築、(2)バロック及びロココ建築、(3)19世紀建築

((1)文藝復興建築、(2)巴洛克以及洛可可建築、(3)19世紀建築)

5.現代建築(20世紀建築)

    過去に於いて建築がどういう風に変ってきたか、これを研究するのが建築歴史という科目でありますが、過去に於ける建築の様式について述べることは、時間の余裕もありませんし、その必要もないと存じますから、古い建築を名前を挙げるだけに止めまして、専ら新しい建築について申し上げたいと存じます。

(過去的建築是如何演變過來、研究這個的有個叫建築歷史的科目、要講關於過去的建築樣式、一來沒有多餘的時間、再來我想沒有那個必要、所以僅列出舊建築樣式的名稱、我想就專門針對新建築來進行。)

    建築の様式は数限りもなくありますが、それを大きく別けますと、西洋建築と東洋建築とに別れます。東洋建築はさらに印度系、支那系、回教系の3つに大別されます。古来の日本の建築は、支那建築の系統に入る訳であります。

(雖然建築的樣式是多到數不完、但大體上還是可以將其分成兩類、一個是西洋建築一個是東洋建築。東洋建築又可以分成印度系、支那系和回教系3大類。以前的日本建築、被歸類於支那建築系統裡。)

    このように数多くの様式が建築に起こりましたのは、単に建築の技術上の変化によるだけでなく、地理的の条件とか、気象の条件と、建築構造の材料の条件とか、風俗、習慣、その国の国民性、さらに宗教、政治、経済、科学あるいは外国との交渉というような、種々雑多の条件によって、建築様式というものが出来てくるのであります。従って過去の建築が、いろいろの様式を生むに至った原因を尋ねますことは、取りも直さず今日の新しい時代に、新しい建築がどうして必要であるかということを認識する一つの方便になると存じます。19世紀の末から今世紀にかけまして、いわゆる新しい建築が非常なテンポで発展致しましたが、それは建築家の遊戯的な創作欲から起こって来たものではなくて、必要已むを得ざる理由から起こってきたかということが、過去の建築様式を知ることによってわかるのであります。そこでこんゆうは新しい建築がどうして起こってきたかということを、平易に申し上げて見たいと思うのであります。

(建築之所以會有這麼多的樣式、不只是單就建築技術上的變化、還有受到地理的條件、氣象的條件、建築構造材料的條件、風俗、習慣及其國家的國民性、甚至宗教、政治、經濟、科學或者是和外國的交涉等種類雜多的條件的影響所產生出來的。因此、會去探討過去的建築所產生出來各種樣式的原因、我想這不外乎為了在今天這個新的時代裡、可以很清楚的理解到為什麼需要新建築的一種權宜之計。從19世紀末期到今天這個世紀、所謂新建築它以一種不尋常的速度進行發展、那不是建築家玩票性質的創作慾望所引起、是因為有不得已的需要、這是因為知道過去的建築樣式所體認到的。因此在今晚、新建築是如何產生的、我想試著用淺顯易懂的方式來講給各位聽。)

    ヨーロッパの建築は、太古より中世に及びまして、16世紀ルネッサンスの頃から17世紀、18世紀即ちベルサイユ宮殿やルーブル宮殿の建築などができた頃を境として、行詰まってしまいました。そして19世紀の100年間は、現代の新しい建築が生まれ出ますまでの黎明の前の暗中模索といったような時代であります。そして19世紀の末に漸く新しい建築が具体的に現れて参りました。

(歐洲的建築、由太古到中世、從16世紀的文藝復興左右到17世紀、18世紀也就是凡爾賽宮或者是羅浮宮等建築物建設完成時期左右為界線、可以說已經走到了盡頭。接下來的19世紀的100年間、一直到現代新建築被產生出來為止、可以說是在黎明前的黑暗中摸索的時代。接下來的19世紀末期、新建築才漸漸的被具體呈現出來。)

    その新しい建築を生んだ理由は、いろいろの方面から考えられますが、大体2つの方面に別けて考えることが便宜かと存じます。一つは、建築の内部に於いて、建築を新しい様とする要素が力強くなってきたこと、即ち建築技術的の方面に於いて、材料及び構造の上に於ける新しい工夫、即ち鉄骨構造及び鉄筋コンクリート構造というものが、建築上に新しい発展を促す様になって参りました。建築方面に於いて、鉄骨構造に依る最初の大規模の建築は、1851年ロンドンに於いて開かれました万国博覧会の際に、クリスタル・パレスという博覧会用の建物が造られたのが最初の例であります。その後1、2年を経まして、フランス、ドイツ、オースタリーに於いても、同じく鉄骨構造の大規模の建築が出来る様になりました。

(新建築產生的理由、雖然可以從很多的方面去思考、但為了方便了解我想大體上將它分成2個方面去思考。一個是在建築的內部、要讓建築成為新樣子的要素、必須要變的強而有力、也就是說在建築技術方面、於材料以及構造上要有新的作法。換言之鋼骨構造以及鋼筋混凝土構造是促成建築有了新的發展。在建築方面、最早期的大規模鋼骨構造建築、是1851年在倫敦舉辦的萬國博覽會中一棟被稱之為「水晶宮」的博覽會用建築物、這是最早期的例子。博覽會之後經過了1、2年、在法國、德國、奧地利也相繼完成了同樣大規模的鋼骨構造建築物。)

    鉄筋コンクリート構造は、1867年パリーの植木屋ジョセフ・モニエの発案以後今日に及んでいるのでありますが、鉄筋コンクリート構造の建築界に於ける出現は、直接間接に、形の上に重大な変化を与えるようになりました。即ち従来の石造に較べると、石材本位、壁本位の構造から、柱本位の構造になったという点であります。

(鋼筋混凝土這個東西、自從1867年法國巴黎的造園師莫里埃(Joseph Monier)想出來之後影響至今、出現在鋼筋混凝土構造的建築界時、直接的或者是間接的、都造成了建築型態上的重大變化。也就是相較於過去的石造建築、從石材本位、牆壁本位變成了以柱子為本位的構造體這一點而言。)

    これは主として建築の内部的の要素でありますが、次に建築の外部に於いても、新しい建築を要求する声が次第に強くなって参りました。要するに時代が変り、社会が変ると共に、建築も変ったものが要求されるということは、過去何千年の歴史によって、明瞭に分かる事であります。現代も勿論同様であります。

(這個雖然主要是建築內部的要素、但接下來在建築物的外部、要求新建築的聲音也越來越強烈。總而言之、時代在改變、社會在改變的同時、建築也被要求必須有所改變、根據過去幾千年的歷史、明白的知道這個道理。現代當然也是一樣。)

    建築とは何かということは、建築家の間に於いてもいろいろと論議されていりますけれども、要するに建築とは人間の生活を入れる容器であるという言葉が、最も適切であるように考えられます。建築は人間生活の容器でありますから、その内容である所の吾々の生活が、時代と共に変るに従って、入れ物が変ってくることは当然の道理でございます、仮に今日の日本に、古代ギリシャ時代、あるいは古代ローマ時代の建築をつくったならば、それは非常な時代錯誤でありましょう。ヨーロッパに於いても、アメリカに於いてもそうであります。仮に一歩を譲って、文芸復興期の建築様式を建てたと致しましても、それは非常な時代錯誤であると思われます。設備を完全に致し、構造を完全に致しまして、その使用の上に於いては、仮に現代の要求をよく満足せしめ得るとしても、外に着けている着物が、古代あるいは中世の着物でありましては、それほど不合理な事はない様に思います。

(至於建築是什麼?雖然在建築家之間有著各種的討論、但總而言之「建築是人間生活的容器」這句話被認為表現的最貼切。因為建築是人間的容器、容器裡面是我們生活的地方、隨著時代的改變器具也會跟著改變這是理所當然的道理、假設在今天的日本、若建造出古代希臘時代或者是古代羅馬時代的建築物、那可真是非常的時代錯誤吧、即使在歐洲、在美國也是如此。姑且讓一歩好了、即使建成了文藝復興時期的建築樣式、那也會被認為非常的時代錯誤。設備完善、構造完善、在使用上、姑且充分的滿足現代的要求、外面所穿的衣服、是古代或者是中世的衣服、這樣好像不是不合理的事。)

    東京に例を取りましても、三井銀行あるいは三菱銀行は非常に堂々としていります。設備もモダンな設備を致していります。構造も超耐震的の強さを誇っていりますけれども、その着けている着物は、文芸復興期の着物でありまして理論的に考えて見ますと、甚だおかしいものであります。併せながら実生活に於きましては、多くの不合理が、趣味の満足という点で肯定され、場合によっては歓迎されることもありますから、ああいうものが決して不合理視されないで、使われていりますけれども、建築を理論的に考えて行きますと、極めて不合理なものと思います。そういう時代の変化、社会の変化によって、建築を新しく仕様とする声が外部に於いて強くなって来たということは、現代建築の最も大きな要素であると考えられます。

(即使在東京、三井銀行或者是三菱銀行够氣派吧。設備也是現代化的設備、構造也是以超耐震強度自豪、但穿在外面的衣服是文藝復興時期的衣服、理論上來想想看、是一個非常奇怪的東西。對照於實際的生活、有很多是不合理的、但就趣味上的滿足這一點而言、是値得肯定、因為有些情況也是被歡迎的、所以那樣的東西絕對不會被看成是不合理、因此現在仍持續的被使用著、但是從理論上去思考這樣的建築、我想是極為不合理的。由於時代的變化、社會的變化、在外面建築要有新作為的強烈要求、被認為是形成現代建築的最大要素。)

    次の要素としては、建築観念の変化であります。古代以後近代までは、建築は視覚に訴える所の造形芸術の一種であるという標準で建築を見た様であります。従って絵画彫刻の如き、純粋芸術に対すると同じ様な態度でこれを製作し、また一般の人もそういう標準で評価するという状態でありました。古い時代の建築も、勿論使用ということを度外したわけではありませんけれども、それ以上に見るということ、また見て美しいということを重要な要素と考えていった様であります。

(接下來要說的要素、是建築觀念的變化。從古至今、建築、似乎是用訴諸於視覺的造型藝術的一種所謂的標準來看待建築的。因此如同繪畫雕刻、用對於純粹藝術的同樣態度去製作它、另外一般人也呈現了用那樣的標準去進行評價。古時候的建築是如此、當然不能說把使用這個東西置之度外、但從之前所看的、或是看起來漂亮的、似乎是考慮的重要要素。)

    一例を申しますと、文芸復興期の絵画、彫刻の大家であるミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ等は同時に当時の代表的建築家だったのであります。ミケランジェロの建築又はダ・ヴィンチのデザインしました建築は、今日もヨーロッパにかなり残っていります。斯くの如く古い時代に於いては、画家が絵を描き、彫刻家が彫刻を刻むと同じ様な態度で、画家、彫刻家又は建築家が建築をしたという事が認められるのであります。

(舉一個例來說、文藝復興時期的繪畫、雕刻大師米開朗基羅、拉非爾、里奧納多達文西等同時也是當時的代表性建築家、米開朗基羅的建築或是達文西設計完成的建築、今天也在歐洲遺留的非常多、如此在古時候、和畫家畫圖、雕刻家雕刻一樣的態度、畫家、雕刻家或者是建築家要從事建築的工作是被認可的。)

    今日に於いても、建築は勿論芸術であります。即ち視覚に訴える所の、造形芸術の重要なる一つの部門を成していることは、昔と変りはないのでありますけれども、それは寧ろ結果から来たことではないかと考えられます。純実用的ビルデイングに致しましても、更に徹底して工場に致しましても、きれいであるとか、形が悪いとか、色が好くないとか、色々と一般社会の人々の批評に上って、造形芸術の対象として論ぜられる場合がありますけれどもそれは結果であって、決して目的ではないのであります。同じく芸術といいましても、建築芸術というものは昔と今と本質的には非常に違ったものであるということが認められるわけであります。誇張して申しますと、古い時代の建築は見るために造られた反し、新しい時代の建築は、専ら使うために造られると言い得ると存じます。甚だ極端な誇張した言い方でありますけれども、強いて言えば、そういうことも言い得るかと思うのであります。

(即使在今天、建築當然也是藝術。也就是說建築和過去一樣、是成為視覺造型藝術重要的一個部門、但能不能說那是因為結果所造成的。因為即使是純實用的大樓建築、甚至是工廠、漂不漂亮、形狀好不好、色彩對不對、藉由各式各樣一般社會人們的批評、建築還是變成造型藝術被評論著、那樣的結果絕對不是當初目的。同樣的、即使就藝術而言、建築藝術這個東西、以前跟現在其本質上也被認為有著非常大的差異。誇張的來說、古時候的建築是蓋來看的、相反的、新時代的建築是蓋來用的。雖然還有更誇張的說法、但真要說的話、那樣的說法對嗎?)

    現代建築の始祖といわれるオースタリーのワグナーは、有名なセセッション運動の原動力となった建築家ですが、このワグナーの喝破した言葉に、“芸術を支配するものは、ただ必要だけである”というのがあります。これは建築について言うならば、建築を支配するものは、ただ必要、即ち実用ということだけであると言えると思いますが、これは現代建築の進む方向を示した明言であると存じます。

被尊稱為現代建築的始祖華格納(Otto Wagner 1841~1918)是有名的分離主義運動的發起人、他一語道破了「支配藝術的東西、只有需要」這個事實、這如果就建築而言、支配建築的東西、只有需要、也可以說只是實用、我想這都很明顯的表示了現代建築的進行方向。

    他の一つの要素は、美的感情が変って来たことであります。美的感情とは、どういうものを美と見るか、どういうものを醜と見るかという感情でありまして、建築における建築美というものの見方が、昔と今と較べて大分変って来たということであります。美の本質がどういうものであるか、どういうものが美であるかということは、美学研究家が熱心に研究いたしていりますけれども、まだ定説を聴きません。建築の美に於いても、どういうものが建築の美であるか、どういうものが建築の醜であるかは判っている様で、実は漠然としているのでありますけれども、美とか醜とかいうものは、大体は判るような気が致します。仮にそれが判ったとしても、古い時代と今日とは、その標準が非常に変っているように思います。ルネサンスの建築、またはその前のゴシックの建築に於きましては、絵画的の彫刻あるいは彫刻的の装飾が非常に高く評価されまして、優秀な彫刻的装飾を持っている建築は名建築であり、また絵画的の効果を現す建築は名建築であるという風に、一般に考えられておりました。

(其他的一個要素是、美的感情不一樣了。所謂美的感情、什麼樣的東西看起來是美、什麼樣的東西看起來是醜的一種感情、就建築而言、對建築美這個東西的看法、和以前比較起來有了很大的不同。美的本質是什麼東西、什麼東西是美、即使美學研究者現正熱心的在研究、也還沒聽說有個定論。就建築之美而言、好像知道什麼東西是漂亮的建築、什麼東西是醜的建築、老實說是模糊的、但漂亮嗎?醜嗎?這個東西、大體上還是感覺的出來。假設即使知道了那樣的東西、古時候和今天、其標準我想也還是非常的不一樣。於文藝復興式建築、或者之前的哥德式建築、繪畫式的雕刻還是雕刻式的裝飾都受到了非常高的評價、因此擁有優秀的雕刻式裝飾的建築就是名建築、能夠展現繪畫效果的建築就是有名建築、這樣的風潮、是一般所認知的。)

    併せながら今日に於いては、寧ろその反対でありまして、装飾を加えれば加えるほど、その建築は建築の本質から遠いものである。絵画的に扱おうとすればするほど、現代の建築の本質から遠いものであるという風に、考えが変っております。それなら現代の建築には、装飾というものは全然ないかと申しますと、そうは言い切れないと存じます。全くよく似た例として、土木の方面に橋梁のデザインというものがありますが、現代建築の意匠あるいは計画というものは、橋梁の意匠あるいは計画と全く同じではないかと考えられます。橋梁の計画あるいはデザインというものは、装飾的の意図が全然ないとは考えられません。寧ろそれは非常に大きい要素をなすものではないかと思います。私は橋梁の方にも非常に興味を持っておりまして、橋を見ることは、建築を見ること以上に愉快であります。丁度橋梁の計画、設計と、建築の計画、設計とは全く同じである様に考えられます。高架鉄道などの、初期の鉄骨構造のガードなどには、古代ギリシャやローマで使われている多様な装飾を、柱頭飾などに加えたものがありますけれども、今日はありません。昔は花模様、動物模様などを、橋梁の柱や手摺につけるという風でありまして、誠に建築に似ている様に考えられます。

(對照於今天、正好相反、像是越是裝飾、其建築就離建築的本質越遠、越是弄得像繪畫、就離現代建築的本質越遠、的這種想法正在改變。如果那樣的話、那現代建築、豈不是完全沒有了裝飾嗎?我想也不盡然。舉個確切的例子、土木方面有橋樑設計這個東西、現代建築的意匠或者是計畫這個東西、和橋樑的意匠或者是計畫是不是完全相同。橋樑的計畫或者是設計這個東西、並不全然沒有裝飾的意圖。與其說裝飾在土木上並不是非常重要的因素。我對於橋樑這方面非常的有興趣、看橋比看建築還要快樂。正好認為橋樑的計畫、設計和建築的計畫、設計是完全相同的。在高架鐵道的早期鋼骨構造鐵橋的柱頭上、有古代希臘、羅馬時期所使用的多樣的裝飾、但今天卻沒有。過去、流行將花的模樣、動物的模樣等裝飾於橋樑的柱子或者是扶手上、真的和建築很像。)

    次に新しい建築が、どういう経過で世界にひろまってきたかということを、簡単にご紹介申し上げたいと存じます。新しい建築を具体的に発展さしたのは、19世紀の末でありますけれども、建築を新しく仕様とする雰囲気あるいは傾向は、すでに19世紀の中頃、1850~1860年頃に起こっております。最初に起こったのは、甚だ皮肉でありますけれども、イギリスなのであります。イギリスは保守的の国で特に芸術方面に於いては、新しい運動という様なものは、なんら見るべきものがなかったのであります。そのイギリスに最初の新しい建築理論あるいは新しい建築運動が起こったということは、甚だ皮肉であります。しかも最初に新しい建築の理論あるいは運動を起こしたイギリスが、今日はドイツ、フランス、オースタリーなどに較べて、新しい建築が桁違いに振り払いということは、益々皮肉の感を催すわけであります。

(接下來是新建築、是什麼樣的一個經過將它擴展到全世界、我想在這裡簡單的向各位介紹一下。新建築具體的發展、雖然是在19世紀末、但是建築成為新仕様的一個雰圍或者是傾向、已經在19世紀的中期、也就是1850~1860年左右開始。其發生、很諷刺的一件事、是從英國開始的。英國是一個保守的國家、特別是在藝術方面、像新運動那樣的東西、無論如何是不應該存在的。最早的新建築理論或者是新運動理論這樣的一個東西會發生在英國、是非常諷刺的。而且、最早推行新建築理論或者是運動的英國、今天和德國、法國、奧地利等國相較之下、新建築卻被棄之如敝屣、再再的感覺到極為諷刺。)

    19世紀の中頃、イギリスにおける文芸方面の批評家として有名なジョン・ラスキンは、当時の美術に対する批評に次いで、建築に対しても独自の進歩的な考えを発表致しまして、今日の建築は、過去の時代のような建築ではなく、新しい時代に適合する新しい様式でなければならぬと主張しだしました。次いでラスキンのこの考えを受け継ぎまして、ウィリヤム・モリスという人がこれを実践致しまして、まず美術工芸方面に於いて新運動を起こしました。ウィリヤム・モリスという人は、美術工芸の革新運動から、後に社会的の運動に進んで、社会主義者になりましたので、社会主義の方面に於いては、芸術的社会主義者の類別の中に入れて、思想家として取り扱って居ります。建築方面に於いては、このモリスの革新運動が導火線となってフランスやベルギーに新しい傾向の建築が行われるようになり、アール・ヌーボーという新様式となって現れましたが、この新様式は新時代への適合性を欠いていたため、間もなく滅びてしまいました。

    アール・ヌーボーに次いで起こり、新興建築の原動力になったのは、オースタリーのセセッション運動であります。セセッションというのは、1897年に組織された綜合的芸術革新団体の名前で、様式の名前ではないのであります。セセッションというのは分離という意味で、古い傾向のアカデミックの芸術から離れて、新しい生面を生もうとする一つの分離作用を意味して居ります。その後ドイツ、アランだ、スカンヂナビヤ等に於いて、次々に新しい運動が盛になりまして、今日に至っているのであります。セセッションその他の建築は、後に幻燈によってお目にかけることに致します。

(未完待續)

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